もし独身だったら、わたしはもっと幸せだったのか問題
今朝、SNSを開いたら50代の女性の投稿が流れてきた。
ほぼワンオペで子育てをしながら働き続けてきた。
気づけば自分のことは後回し。
独身の友人はきれいにしていて、旅行にも行っていて、まるで別世界の人。
「私の人生って何だったんだろう」
そう書いてあった。
私は子供を産むのが早かったので独身の同級生や友達とライフスタイルが全然違ったのでわかり味が深すぎる。
わたしも10年近くワンオペで子育てをしながら働いてきた身として、深々と頷きながらスクロールを止めた。
子どもはかわいい。
これは大前提。揺るがない事実。
でも反抗期のとき、
「そんなふうに育てた覚えはない」
と心の中で絶叫したことが、一度や二度ではない。
むしろ何百回かある。
腹が立って家出もしたこともあるw
人間というのは、つくづく都合のいい生き物で、
自分にないものを持っている人を見ると、即座に「いいなぁ」が起動する。
独身の友人が旅行先で撮った写真。
きれいなネイル。
休日に寝坊できる自由。
こちらは「お母さん、お腹すいたー」の声で1日が始まるのに、
あちらは優雅にブランチである。
ずるい。
いや、ずるくない。比較してる時点でこちらの負け。
ここで一度、立ち止まりたい。
独身だったら自由だったはず」という幻があると、比較すればするほど増えていく自分への不満はどれだけでも増えていく。
きっとその独身のお友達にも、わたしたちには見えない苦労がある。
恋人と上手くいかなかった夜。
将来への漠然とした不安。
「結婚してないの?」という、地味に刺さる一言を何度も浴びたかもしれない。
ショーウィンドウの前を通る人は、
お互いに、相手の店の裏側を見ていない。
ただ、表に飾られたきれいな商品だけを見て、
「あっちのほうが豊かそう」と勝手に判定している。
裏では両方とも、似たような棚の整理をして、
似たような賞味期限切れの不満を処分している。
「あの人いいなぁ」で終わるか、
「私はどう生きたいんだろう」に進化するか。
ここが分かれ道。
なんと。なんと!!
比較してモヤモヤしていたエネルギーを、
「自分はどうしたいか」に変換した瞬間、
それは、ただの嫉妬から、
立派な原動力に進化するのだ。
テレレレッテレー。
わたしは、人生は最終的に自己満足でいいと思っている。
誰かに認められるための人生じゃなくて、
自分が「ああ、楽しかった。我が人生にいっぺんの悔いなし」みたいな人生がいい。
というか、
いっぺんの悔いのない人生がどんなもんかわからないし、
完璧主義ではないから、ちょっとくらい後悔があってもそれはそれでいいんじゃないかと思う。
健康でいたい。
きれいでいたい。
いろんな場所に行きたい。
美味しいものも食べたい。
面白い人にも会いたい。
ワクワクする仕事もしたい。
やってみたいと思ったことは、やってみたらいい。
だから、もしその投稿の方に一言伝えるなら。
「もっとわがままになっていいんじゃない?」
ここでいうわがままは、
レストランで隣の人の皿まで食べる、という意味の自分勝手ではない。
自分の人生の主導権を、誰にも渡さないということ。
自分をよく見て、心の声をちゃんと聞くということ。
子どもがいたから。
結婚したから。
独身だったら。
あの時こうしていたら。
そんな「たられば」の旗を、いつまでも自分の机の上に立てておかなくていい。
鏡を見て疲れた自分を見つけたら、
「だめね、私、老けたわ」
じゃなくて、
「よし、今日は奮発してサウナとマッサージにいっちゃおう!」
これでいい。
日本人は、ちょっと周りの空気を読みすぎる傾向がある。
国民性として、空気を読む検定があったら、全員上級者である。
だから、たまには検定を返却して、
少しだけわがままに、自分を愛していい。
人生は、思っているより長い。
隣の人の人生に点数をつけている時間があるなら、
自分の人生に、もう少しいい点数をつけられるのは自分だけなんだから


