ディズニー+ 将軍を見た感想
「かけがえのない命」今では命の重さや命の大切さについて当たり前のように語られているが、
152年前の1872年までは死刑の執行方法として1000年近く切腹という名の自決が行われてきたと言われている。
罰則で命じられる以外にも高潔さだったり、名誉を守るためだったり、
昔の大河ドラマや日本映画などを観ても、びっくりするくらい人が簡単に自決してしまう。
命の尊さとはかけ離れたような一見理解できないような理由で自決する描写もみた事があり、
日本の自殺率が高いのは切腹の文化があったせいなのではないのか?
そんな風に思う海外の意見もあると言われている。
私もその一人で、「将軍」を観るまでは、愛知県という戦国時代の舞台がすぐ近くにある環境に生まれ育ちながら、
ずっと武将達を苦手だと思ってそういった文学や映画、美術作品さえも避けて生きてきた。
「将軍」の中でもやはり自決の場面は多い。
この作品は、カトリック教の支配下になりそうだった日本にプロテスタント教を広めるために来日した按針と名付けられた外国人が主人公であり、按針の視点から日本の文化や時代が語られている。
三浦按針は実在の人物であり、徳川家康とも交流があったと言われているが、「将軍」自体はプロデューサーも務める真田広之演じる徳川家康(作中では吉井虎永)と、石田三成(石堂和成)の関ヶ原の戦いからインスパイアされたフィクションである。
簡単に人の命が消えてしまう地獄のような時代に感じるが、
この作品では、主人公の虎永が武士が最も大事にしている高潔さと名誉をどう生かしていくかにフォーカスしている。
もちろん、戦いになるかならないか、誰が裏切るのか誰が本当の味方なのかそうではないのか、
そういった描写にもハラハラドキドキするし、
今まで見てきたハリウッド映画では戦いのシーンをいかにド派手に演出するのかが見どころとなっている。
しかし、この作品はびっくりするほど戦わない。
戦わないことで、結末は晴れ晴れとしたものではなく、え?もう終わり?というようなふわっとした印象になってしまう。
徳川家康の名言に「勝つことばかり知りて負くるを知らざれば害その身に至る」という言葉がある。
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事で長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を責めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。引用元:https://rk-kitai.org/column/series03-07
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている
戦って勝ち、家族や領地の人々を守ることも大事だし
戦って勝つことを良しとされた時代でも
戦わないで自分の望みを叶える方法もあるのではないか
そんな風に思う人の願いを叶えている作品なのだと思う。
何が本当の高潔さと名誉なのか?
自分にとっての名誉なだけであれば、勝つことにこだわるのがいいのかもしれない。
しかし、最終的なゴールを達成するためには(この作品の中では天下統一)戦をすることだけが名誉なことではない。
初めの命の話を書き出した時に入れようと思っていたけど、どこにも入らなかった言葉、
戦ったって命を落としたり、自決したりするのが日常的だからこそ、
一瞬一瞬の判断が命に関わる。
死が身近なこと自体は、ドラマティックであってはならないと思う。
私が考える死は死でしかない。
美しいことも醜いこともない。
生きていかないと正しさも美しさも志も証明できないと思っている。
しかし、期日が決まることでゴールが決まり、
日々の生活を目的を持って暮らせる効果は少なからずあると思う。