藤井風さん「帰ろう」から学ぶ 許す事は許される事。そして次に向かうこと

 

何事においても
執着してしまったり、
固執してしまうと、
本質を見失ってしまうもの。

今日は執着を乗り越える方法について

 

執着を手放した先に自由があるってわかっていても、
生きていればいろいろあるもので
許せる事も
許せない事も
いろんな事がある。

しかし、起きてしまった感情は
結局は相手が同行してくれるものではなくて
自分で自分の気持ちと折り合いをつけていかないといけないもの

何かされて謝ってもらったとしても、
わだかまりが溶ける部分は
実はすごく少なくて

自分で何かに納得して
許したり、関係を続けたりするものである。

 

自分らしく働きたい女性のための
時間管理・目標達成・ブランディング集客のサポートをしています。
お仕事スタイル研究家のわたなべかおりです。

 

実は、私こちらの記事の中で怒っていたんです。
怒るっていうよりは著作権問題ってやっぱり対応策だけは持っておきたいなって
思って調べていたんですが、

ちょうどその時、
車でこの曲を聞いて

 

まぁいっかって

めちゃくちゃ救われたんです。

 

その曲とはこちら

藤井風さんの「帰ろう」

対策なしなのは、まぁいっか ではいけないんだけど
憎しみや怒りの中で対策を考えてもいい案は出てこない。
(ちょっと大げさかもしれないけど)

執着を一旦手放さないと、クリアに物事は見られないのは
仕事だけじゃなくすべての事において言える事。

 

そう思わせてくれたのは

こちらのサビの歌詞

 

ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう
さわやかな風と帰ろう
やさしく降る雨と帰ろう
憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう
≪帰ろう 歌詞より抜粋≫

こちらの歌詞、ある記事によると死生観を歌った曲らしいけど

私は言葉の意味をそのまま捉えて
戦うことよりも許す事を選んだ器の大きな人の歌に受け取っている。

この中の帰る場所って
争う前の穏やかな世界だったりするんじゃないかな。って思う。

 

私自身、これを聞いて今まで許せなかった事を
一つ一つ思い返してみたけど、

許せない事や許せない人がいる事で
いつしか自分の手で
自分の心に重りをおいてしまっていた事に気付いた。

多分相手はもうなんとも思っていない事がほとんど。

だから相手がどうこうの問題ではなくて
怒りから憎しみに変わってしまったら、
どうやって解消していくか?は自分の問題になるのではないか。

じとっとしてなんかよくわからないものを自分自身で置いている感じ。
他人に置いて行かれたものだと思っていたけど
自分の心を支配できるのは自分だけな事を忘れていた。

許さない事で、自分を守っていると思っていたけど
許さないから自分はずっと過去の出来事と戦っていないといけなくて

憎しみあいを引き起こそうとしているのは
自分なんじゃないかと思って
はっとした。

 

たとえ話が極端でテレビの見過ぎな他人かもしれないけど
大切な人が殺されて復讐しても
満たされないみたいな… そんな感じ。

事の発端は相手にあるけど
許すとか許さないとかは相手の問題ではなく自分の問題だったりする。

もちろん、うやむやにしてはいけないものもあるけど
執着したままでは
本質を見誤ってしまい、問題の解決は長引いてしまう。

 

許す事で憎しみあいのない世界に帰れて
爽やかな風に触れられるのなら
私も忘れた方が幸せなのかも…

 

実はこの曲は車の中で4ヶ月くらい前から流していたのに
いい曲だなーくらいにしか思っていなかった。

そのまま気づかずに執着に囚われていたら
いろんな事がこじれてしまっていたかもしれない。

引き寄せとかではないけれど
私の現実を創っているのは私自身。

私の心に何をおくか決めるのも自分。

自分を執着や憎しみあいの中に置いていたのも自分だし
自分の事を本当の意味で癒せるのも自分。

許せない!って感情が生まれたら
この曲に帰ってこよう。

そんな風に思わせてくれた藤井風さんと、
執着になりかけていた関係者に感謝です。

 

◆出来る大人に近づく習慣 274

許せない感情を手放せるのは自分だけ

自分を執着や憎しみあいの中に置いていたのも自分だし
自分の事を本当の意味で癒せるのも自分。

執着を手放した先に自由があるから
手放せないものがあるなら
手放せる手段を探しに行こう…

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次